障害者という概念

オッドアイ プライベート日常

何年からのことかは忘れましたが、「障害者」から「障がい者」と、

「害」を平仮名表記にしている文章を見かけるようになりました。

背景としては、「害」という文字を使うことは障害を持つ人にとって不快に感じられるからとのことです。

当事者に配慮して考えて頂いたことだと思うので、その心遣いは素晴らしいと思います。

しかしここからはあくまでも個人的な考え。

 

『どっちでもよい』

 

理由としては、私の考える「障害者」というのが「生きる上で障害物の多い者」

つまりは「障害」はその人の身体や精神にあるものではなく、その外側。

社会側にある障害と向き合って努力している者と捉えているからです。

障害者の心をいたわることも大切ですが、それよりもまず現実的な社会の障害と偏見を取り除くことが優先だと私は考えます。

 

最近は「多様性」を受け入れる風潮が社会にもみられるようになりました。

ダイバーシティ経営もそのひとつでしょう。

しかし、まだまだマジョリティ(多数派)はマイノリティ(少数派)を排他する傾向はあります。

 

いじめはダメだ。

差別はよくない。

戦争はいけない。

 

誰もが分かっていることなのに、なぜ今も変わらずいじめも差別も戦争もなくならないのか。

誰もが分かりあい、一人ひとりを尊重し合える世の中には何が必要なのか。

 

その答えは観点の問題を解決すること。

不完全な脳がつくり出す5感覚に支配されず、オール0化できること。

 

まぁその前に、まずは一人ひとりが問題意識を持つことが大前提ですけどね。

そんなことを語れる仲間がたくさんほしい今日この頃です。