こんにちは、大阪帰りの明楽です。
基本どこでも寝られるので、寝てる間に移動できるという夜行バスにて帰福。
福岡~博多間くらいなら全然OKですね。
東京となると、さすがにそんなに寝れないし腰がきつい。
さて、今回はLGBT当事者同士でちょっと話題になった話。
最近は福岡の地方でも
LGBTに関する講演会や研修をやってほしいと依頼が多い中
たまに「性教育」のくくりとして扱われていることがあります。
かなり大枠な視点からみたら間違いではないのですが
性教育っていうと、どちらかといえば
性行動や身体的成長のカテゴリとか
「保健」の授業で扱われそうなイメージがきます。
性同一性障害(GID)や性分化疾患(DSD)だったらまだ納得できますが
LGBTの人たちを取り巻く問題としてみると
教育という観点より「人権」に関する観点で
まとめていただいた方がしっくりきます。
まぁこれは言語に対する自分の理解と判断基準があるため
絶対にこれが正しいとか誤っているとかはないんですけどね。
こういう会話をしていると、言語の限界を常々感じます。
そんなつもりで言ったんじゃないって思っても、
単語1つ使い方を間違えることで炎上する世の中ですから。
その人が発するその言葉の背景には、どんな思考や判断基準が成り立っているのか。
聞くよりも聴く
見るよりも観る
それが大切だとしみじみ思った会話の一部でした。